小池康壽の沖縄紀行 |
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| 日本の最南の地、沖縄を講演会で訪ねました。世界遺産の首里城や、国の指定重要文化財の中村家住宅など、沖縄には家相研究家としてこの目で見てみたい建物が山ほどあります。今回は真冬の訪問でしたが、那覇空港に着くと半袖でも十分な暖かさ。ちょうどその1週前には、日本でも有数の積雪地、北海道の倶知安町を訪れていましたから、北と南の気候、環境の違いを改めて実感するチャンスに恵まれました。そして、その大きく違う住宅特性を学ぶこともできました。 ガイド記事「北の国から」では、冬の厳しい寒さと積雪の対策に取り組む北海道の家づくりをご紹介しました。対するここ沖縄の住まいには、真夏の暑さと台風への対策が随所に見られます。今回はその沖縄の住まいの特性と、この地に残る代表的な建物をご紹介していきたいと思います。題して、「小池康壽の沖縄紀行」。 さて、前述の「北の国から」や、「屋根で人生が変わる?!」でもお話をしましたが、北海道をはじめ雪の多い地域では、屋根に積もった雪が自然に落雪しやすいよう、屋根の形や勾配、向きなどを決めています。そのため、昔からこれらの地域では、圧倒的に「切妻」屋根が多いのですが、沖縄では切妻型の屋根はほとんど見られません。 後ほどご紹介する中村家住宅に見られるように、昔から沖縄の民家には「寄棟」屋根の建物が非常に多いのです。寄棟型の屋根のほうが、台風などの強風をかわしやすいためなのです。また、屋根の重なり部分も漆喰で塗り固め、風による雨の逆流を防ぐ工夫もされています。沖縄の住まいといえば、屋根に鎮座した魔よけの獅子、シーサーが有名ですが、このシーサーは家の中にこもった腐敗した空気や、台所の煙などを排出する役目もしているのです。 ![]() *台風でも瓦が飛ばないように、漆喰で塗り固められている。シーサーの足元が煙突の役目もしている 昨今の沖縄では、鉄筋コンクリート造りの「陸屋根」タイプの住まいが増えているようです。台風による建物の損壊を防ぐためには、強固な鉄筋コンクリートの住まいが、現代では「吉」なのでしょうね。 また、現代の沖縄の住まいの特徴は、とにかくベランダが大きいことです。たとえば、1階の床面積が20坪とすると、2階の部屋の面積は10坪。残りの10坪はすべてベランダというお宅が多いのです。しかも、こちらのベランダは屋根付き。屋根で覆われた大きなベランダをつくることで、強い日差しと暑さを防ぎ、涼しい「気」が流れることも生活の知恵でしょう。“壁のない部屋”といった感じのこの大きなベランダは、物干し場だけでなく、食事にくつろぎにと、多目的に活用することができる点と、将来の増改築を考慮に入れているようです。 さてここからは、沖縄の代表的な建物をご紹介してまいりたいと思います。まず私が足を運んだのは、国の指定重要文化財でもある中村家住宅。この中村家住宅は、戦前の沖縄の住居の特色をすべて備えている建物として有名です。建物だけではなく、屋敷の構えがそのまま残っており、沖縄の住宅特性を知るうえで、たいへん貴重な建物なのです。 先ほどもお話したように、台風のメッカである沖縄では、強い風雨から住まいを守るための工夫があちこちに見られます。強風をかわしやすい寄棟型の屋根、風で飛ばされぬように漆喰で塗り固められた瓦など、この中村家住宅には、台風に備えた先人の知恵がさまざまに伺えます。 また、家の周囲には福木(フクギ)という大きな樹木が防風林として植えられ、石灰石でつくられた高い塀は、防風壁の役目をしています。家相では昔から、「家の前に大樹を植えるは凶なり」、また「塀が高きは凶」などといわれますが、沖縄のように台風の通り道となる地域にとっては、「凶」が「吉」にもなるのです。風水とは、風や水の流れを見ること。屋根の形や樹木、塀などで風をうまく操り、沖縄の歴史を今に伝えるべく、280年もの長い間現存したこの建物こそ、「吉」の証といえるでしょう。 ![]() *フクギが防風林の役目をしている 高い石塀の間を中に入ると、正面にまたもや塀がそびえます。まるで家を隠すかのように建っているこの塀は、「ヒンプン(顔隠し塀)」といわれるもので、外から母屋が見通せないように、目隠しの役目をしているのだそうです。私が持っている「家相秘伝集」という古書に、「玄関は表門の正當にあるは凶し、左あるいは右へよせた構えを吉とす」という一節があります。これは、「門と家の玄関が一直線上にあるのは凶、玄関は左右へよせてつくるのが吉」という意味ですが、外から家の中が見られないようにするのがよいという古来の家相の考え方は、この中村家住宅の塀のつくりにもあらわれています。 ![]() *中村家住宅を表玄関から見た様子。ヒンプンにより家の中が見えない。 しかし、現代のような物騒な世の中では、大きな樹木や高い塀は死角をつくり、防犯上は望ましくありません。また、住宅の構造や性能もよくなり、建物自体をより頑強につくることで、台風に立ち向かうことができるようになりました。そのためか、フクギの防風林や石の防風壁も、以前に比べるとずいぶん少なくなったと地元の方が話しておられました。 さて、その昔沖縄では、男性はこのヒンプンの右側から出入りをし、女性は台所へ直通する左側から出入りしていたそうです。私は男性ですが、ヒンプンの左側から奥へ入ったところ、正面にトゥングワと呼ばれる台所がありました。このトゥングワの部分だけ屋根が低いのですが、その理由が中に入ってわかりました。屋根裏部分を薪や食料などの収納スペースにしているのです。ここなら薪も邪魔にならず、使いたい時にすぐ取ることができますからね。 ![]() *台所の部分だけ屋根を低くしてあり、屋根裏が利用しやすくしてある また、とても興味深かったのは高倉(籾倉)です。写真をご覧いただくとわかるかと思いますが、屋根の庇がおもしろい形をしていますよね。これは「ねずみ返し」と呼ばれるもので、穀倉であるこの建物に、ねずみが入れないように工夫したものなのです。現代でも、アライグマが民家に侵入し大きな被害を出すなど、野生動物との共生もまた、より良い住まいづくりを考えるうえでは大切な問題です。 ![]() *ねずみ返しがあることで、穀倉がねずみに荒らされない工夫がされている。中村家住宅の高倉 この中村家住宅には、地域特性を考慮したあらゆる工夫が伺え、この建物を訪れたことは、家相研究家としてとても実のあるものとなりました。中村家住宅を後にした私は、すぐ近くの中城(なかぐすく)城跡を見学することにしました。以前、小倉城を訪ねた際にもご紹介しましたが、城は風水学上、その地の最良の場所につくられていることが多いのです。この中城城は、1850年代に来琉したペリー艦隊が、その石造りの美しさに驚嘆し、ペリー遠征紀にも記された城として有名です。美しい曲線に組まれた石垣と心地よい風は、しばし古(いにしえ)の琉球王国へタイムスリップさせてくれました。標高160mの地にもかかわらず、二つの井戸を城郭内に持ち、良質の水を得ていたという中城城。まさに風水学上最良の場所につくられた城といえるでしょう。 ![]() *石積みの技術がすぐれている中城城 ![]() *中城城内にある井戸の跡地 最後に、沖縄の象徴的な建物である首里城を訪ねました。風水思想が随所に取り入れられているこの首里城は、日本と中国の建築文化が混在する貴重な建造物です。那覇港を見下ろす標高120〜130mの丘陵地帯に位置し、優れた眺望を有しているにもかかわらず、中城城と同じく湧き水が豊富で、風水学上最良の地勢であったことが伺えます。創建された年代は不明だそうですが、13世紀末から14世紀のグスク(城)造営期に創建されたものと推定されています。 ![]() *那覇市内を一望できる場所に高台にある首里城 ![]() そして1429年に、琉球王国を樹立した尚巴志が王城として確立、現在の規模になったと考えられています。この首里城は1879年の廃藩置県まで、国王の居城として、また琉球王国の象徴として、政治・文化・外交・祭礼の中心だったのですが、数々の建造物は沖縄戦(1945年)でほぼ完全に焼失してしまいました。本土復帰20年を記念して、1992年に正殿、南殿、北殿などが復元されたのです。中国圏の風水の象徴ともいえる「龍」が、彫刻や絵画としていたるところに描かれ、数々の城門を配した壮大な城郭や、鮮やかな朱色の正殿は何度見ても圧倒されてしまいます。 今回の取材では、沖縄の住宅特性や風水思想に触れるだけではなく、戦争で失われた多くの尊い命や、首里城のように戦火で焼失した多くの建造物など、沖縄の戦跡にも触れておきたいと思い、ひめゆりの塔や沖縄戦跡国定公園にも足を運びました。沖縄を訪れた2月の初めには、よもやまた戦争が始まるなど考えてもいませんでしたが、残念なことに、今また悲劇が繰り返されています。戦争を知らない私たち一人一人が、世界の平和を強く願う気持ちを持つこと。これを忘れてはいけないと思います。 最後に、風水とは本来、「風土・水勢から住居や埋葬の地を選定するもの」であることは、以前の記事「家相 VS風水」でもお話しましたが、風水の本場中国圏では、風水はお墓について考えるものであることが多く、良い場所に良いお墓を建てたいと願う人が多いのです。沖縄は、その中国圏の風水の影響を大きく受けた地でもあります。驚かれると思いますが、沖縄では電柱に「お墓売ります!」などというセールスチラシが数多く貼られているのです。最近ではごく一般的なお墓が増えてきたようですが、それでもまだまだ、大きなお墓や立派なお墓をいくつも見かけました。 北の北海道、南の沖縄だけでなく、地域によって住まいに対する考え方、住まいづくりに望まれることは大きく違います。今後も私は、地域特性や現代の住宅環境に合った、“生きた家相学”を構築していきたいと、那覇空港を眼下に見ながら再認識したのでした。 |
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2005 家相研究家 小池康壽
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