ばい菌もバリアフリー

「良い面もあるが、悪い面もある」ことを「一長一短」と言いますが、現代家相学の観点から見て、昨今の家づくりにはこの「一長一短」が少なくないように思います。中でも代表的なのが「バリアフリー」。最近の住宅は、猫も杓子(しゃくし)もバリアフリーですが、家中まっ平らのバリアフリーには、私は注意を促したいのです。

確かに、家の中に余計な段差がないのに越したことはありません。わずかな段差でも、つまずいて転倒しケガをしたり、打ち所が悪く亡くなってしまうという最悪のケースもまれではないのです。その点バリアフリーなら、段差につまずいて転ぶこともなく、家庭内事故の危険性もかなり少なくなるでしょう。安全に住まうことができるという点では、バリアフリーは家相学上「大吉」であることに相違はありません。

家庭内事故の危険が少なく安全であることが、バリアフリーの良い面、つまり「一長一短」の「一長」であるとしたら、じゃあ「一短」は何なんだということになりますが、私がバリアフリーに注意を促したいのはトイレと和室なのです。

トイレは家の中でも雑菌が多い場所です。そして衣服や下着から出る綿埃も、意外に多い場所なのです。その雑菌と綿埃に適度な湿気も手伝って、トイレにはカビやダニ、悪臭が発生しやすいのです。しかしこれは、トイレという場所がら仕方のないことです。問題なのは、バリアフリーで敷居を取り払ってしまうことで、雑菌やカビ・悪臭が付着した綿埃が、トイレから他の部屋へと移動してくることなのです。

最近は廊下をつくらない家も多く、それこそ、リビングとドア一枚でトイレがつながっている家も少なくありません。トイレのドアを開け閉めする度に、風圧で雑菌やカビだらけの埃が舞い出てくるのです。まさに「ばい菌もバリアフリー」というわけです。これでは衛生上好ましくありませんし、キッチンやダイニングにまでこれらの埃が移っていったら、健康運にも不安を感じます。また、来客時にリビングに思わぬ「毛」でも落ちていたら(おわかりでしょうが、陰毛です)、気分的にも良くないどころか、悪い印象を持たれてしまうおそれもあります。敷居は雑菌や埃の防波堤になってくれていたのです。



もうひとつは和室です。ちょっと大げさな言い方かも知れませんが、和室の敷居は、現代の住宅に残る日本文化の最たるものだと私は思っています。その証拠に、敷居は言葉としても様々な例えに使われているのです。「敷居を踏むな・敷居が高い・敷居をまたぐ」などがそれです。住宅のバリアフリー化がさらに進み、家の中から敷居が消えてしまったら、やがてはこれらの言葉も死語になってしまうでしょう。また、結納の儀式をはじめとする人生の節目の行事、元旦や節句などの季節ごとの行事には、まだまだ和室での礼儀作法が必要なものがあります。和室に入るときは、正式には左足から踏み込むこととか、畳の縁は踏まないこととか…。和室とは何となく心して入る部屋であってほしいと思うのです。

敷居がなくなれば段差もなくなる、しかし大切な文化もなくなっていきます。健康で安全に住まうことと、古くから受け継がれた文化を守ること、どちらも望む私は欲張りなのかもしれませんね。

今後も安全な家づくりという観点、お年寄りが快適に住まえる観点からもバリアフリー化は進んでいくでしょう。いや進んでいかなければなりません。ですからバリアフリーの問題点も頭の片隅に入れていただき、健康で安全、快適に住むための家作りを私は願っているのです。   



しきい(‥ゐ)【敷居・鋪居・閾】
門戸の内と外とを区別するために敷いた横木。また、部屋の境の戸や障子、ふすまなどの下に、それをあけたてするためにつけられた溝のついた横木。古くは「しきみ」といった。
しきいき(識閾)

敷居が高(たか)い
相手に不義理をしたり、また、面目のないことがあったりするために、その人の家に行きにくくなる。また、その人に会いにくくなる状態をいう語。

敷居を跨(また)ぐ
家にはいる。訪れる。また、家を出る。家にはいる(訪れる)ということに特別の感情をこめて用いる場合が多く、下に使役の助動詞を伴って相手の訪問を認める(認めない)の意で使われることもある。「二度とこの家の敷居を跨がせるものか」

国語大辞典(新装版)小学館



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